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沖永良部島物語集 

島の民俗文化

№10 島の民俗文化 Ⅲ-②

 今回は和泊町後蘭の「タシキ又(また)」にある神石について紹介します。タシキ又は、県道と後蘭字へ続く小さな道路とが交わる境界にあります。地名の由来を伝える大きな案内板があるので、初めて訪れる方でも、まず見落とすことはないでしょう。その案内板と道路を挟んで対面の路傍に、人の背丈を超す大きな石と、やや小ぶりな石が並んでいます。それがタシキ又の神石です。

 タシキ又は、島の豪族伝説にまつわる場所。時代は約600年前にさかのぼります。

当時の島主・世之主には、「四天王」と呼ばれる4人の家臣がいました。その一人、後蘭孫八(グラルマゴハチ)は、水源豊富な後蘭(ごらん)の地に居城を構えた豪族でした。ある日、世之主から招集を受けた孫八が馬を駆って世之主の城へ向かうと、前方に四天王の一人である西目国内兵衛佐(ニシミクニウチベーサ)を発見します。

世之主の居城が置かれた内城と後蘭とは、目の鼻の先の近さです。主人に一番近い場所にいる自分が、他の後れをとるわけにはいかない…と思った孫八は、咄嗟に「西目は火事だぞ!」と叫び、国内兵衛佐が思わず振り返った隙に一気に抜き去ろうとしました。

さあ、頭にきたのは国内兵衛佐です。孫八の嘘に虚を突かれ、まんまと先を越されたとあっては名折れだ!と、孫八目がけて刀を振り下ろしたものの、寸でのところで孫八が身をかわし、刀は路傍の大岩をざっくり。国内兵衛佐のすさまじい剛力は、大岩を真っ二つにしてしまったのでした…。

二人の豪族がかつて先陣争いを演じた舞台こそ、後蘭のタシキ又です。一説には、タシキ又で国内兵衛佐が首を落とされたともいい、いずれにしても島内でも有名なヌンギドコロ(怖い場所)として知られています。かつてはタシキ又に差し掛かると、馬から下りて「通ち給り(トウチタボリ)」と口上を言わなければ通ることができなかったとか。

後蘭孫八は世之主の築城を一任された腹心の部下、一方の西目国内兵衛佐は世之主生誕の地とされる知名町下城の周辺一帯を治めた豪族と伝えられています。600年もの昔、本当に島の英雄たちがこんな小競り合いを演じたのかどうか。それを確かめる術はありませんが、タシキ又の伝説は、世が移ろおうと決して変わることのない人間の面白味を感じさせると思いませんか。

タシキ又に足を運んだら、大岩をよ~くご覧ください。本当に刀で切ったように、きれいにすっぱりと割れていますからね。

(文責・えらぶ郷土研究会 市來美穂)

活動報告写真 活動報告写真
スセン當式土器の破片~貼り付け模様がある (和泊町教育委員会所蔵)

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