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沖永良部島物語集 

島の紹介

№2 島の歴史物語 Ⅱ-①

最初の質問、「沖永良部島にはいつごろから人間が住み着いたのですか?」

 聞かれた大人は「さぁ~ね~」と口ごもります。的確に答える自信がありません。そんな遠い遠い昔の歴史が、ひょっこり現れました。当時中学生の岸田善光君が偶然に発見したのです。それは小さな土器のかけらでした。自分の畑で拾った土器のかけらをお父さんに見せると、お父さんが中央公民館に寄贈しました。昭和47年頃のことだそうです。

それから10年後、この小さなかけらが注目されるようになりました。

 この小さなかけらは専門用語で「爪型(つめがた)文(もん)土器」といわれる縄文時代前期の土器の破片だといいます。一般の人には土器のかけらなど、いつの時代のものか全くわかりませんが、専門家は一目で判別できるのですね。なんと、1万年前の土器であるというのです。

 昭和57年、専門家による考古学発掘が行われました。場所は知名町久志検の小字(こあざ)名(めい)水窪というところです。ここには自然の鍾乳洞があります。鍾乳洞は中甫(なかふ)洞窟といわれていました。専門家はこの洞窟に縄文人が住んでいたに違いないと着目して、発掘に取り掛かりました。こうして、沖永良部島最初の人間が住み着いたであろう、縄文時代前期の中甫洞穴遺跡の全容が明らかになりました。
 何が出てきたと思いますか。

 まず、土器や石器が出土します。次に、当時の縄文人の食べた動物の骨が出たそうです。そして、縄文人が現われました。もちろん人骨です。

 考古学者が重視するのは土器の様式です。土器の形や模様から時代を特定したり、他の地域との関連が分かるからだそうです。中甫洞穴遺跡からは、「爪型文土器」の他、鹿児島地方の縄文前期の「轟式(とどろきしき)土器」が出ています。さらに、従来の南島の土器では見られない新発見(新発掘)の土器「連点(れんてん)波状(はじょう)文(もん)土器」が出てきました。

 動物の骨では、イノシシ・ネズミ・ウミガメ・カニ・キジバト・ヒヨドリなどです。面白いのは、現在、島にはイノシシは生息していませんが、この時代にはイノシシがいて縄文人が食べていたことが分かりました。また、中甫洞窟は海から約3㎞も離れていますが、ウミガメも食べていたことも分かりました。海までの道なき道は遠かったはずですが……

 人骨は頭を南東に向け、右向きの横臥(おうが)屈葬(くっそう)(横向きで足を折り曲げた形)で、遺体の上には小石が置かれていたといいます。足を曲げたのと、石を置いたのは、死者の霊が迷い出ないための呪(まじな)いだと考えられます。縄文時代から人間は霊魂を信じ、先祖崇拝の信仰を持っていたのでしょうね。縄文人の遺体に合掌。

(文責:えらぶ郷土研究会先田光演)

活動報告写真 活動報告写真
知名町久志検の中甫洞穴遺跡
(『日本の古代遺跡 鹿児島』保育社刊)
中学生が発見した土器片
(和泊町歴史民俗館所蔵)

 沖永良部島の観光業者
 沖永良部島観光連盟 (0997‐92‐0211 ファックス0997‐84‐3966
 奄美航空ツーリスト沖永良部営業所 (0997‐93‐1700 (知名町知名658‐3)
 山田海陸航空シーワールドトラベル (0997‐92‐1100 (和泊町和泊576‐3) 

     

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