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沖永良部島物語集 

島の紹介

№9 島の歴史物語 Ⅱ-②

 南の島々の考古学発掘と考古学研究は年々盛んになり、時々大きな話題になります。近年では、沖縄島南部のサキタリ洞遺跡から約2万年前の人骨が出土し、日本の旧石器時代人の骨として話題になりました。

奄美諸島では北部に位置する喜界島に城(ぐす)久(く)遺跡群があり、9~14世紀の遺物や遺構が発掘されて、大和朝廷の大宰府政庁と関連するのではないかといわれています。奄美大島の北部奄美市のフワガネク遺跡からは大量のヤコウガイの貝殻が出土し、交易品として貝殻で貝匙を作成していたことが分かりました。南部の宇検村倉(くら)木崎(きざき)海底遺跡からは、12~13世紀の中国製陶磁器が大量に発見されました。中国から日本へ運ばれる途中で、船が沈没したのではないかといわれています。それより約100年前、徳之島の伊仙町阿三の小字名亀焼で、無釉薬の灰色の焼物カムィヤキが生産されて南西諸島全域に流通していました。

 さて、沖永良部島ではどうでしょうか。先にあげた中甫(なかふ)洞穴(どうけつ)遺跡も重要ですが、昭和57・8年に知名町大津(おおつ)勘(かん)と屋子母(やこも)海岸の砂丘地帯で発掘された貝塚遺跡では、大きな発見がありました。奄美から沖縄にかけて今まで発掘されたことのない土器が出土したのです。

 大津勘の神野(かみの)貝塚からは神野式土器が、屋子母のスセン當(とう)貝塚からはスセン當式土器と名付けられた新型の土器が発掘されました。神野式土器には、神野A式・神野B式・神野C式があり、縄文時代前期から中期にかけて製作されていたといいます。神野式土器が発掘されるまでは、南西諸島で出土するいろいろな土器の時代(順序)がはっきりしなかったといいます。この神野式土器の発掘によって、A式より下から出たか、B式の下か、C式の上か、などによって、今まで発掘されてきた土器の順序が明らかにされたといいます。これを土器の編年(へんねん)といいます。こうして南西諸島の考古学に大きく寄与したのです。

 スセン當式土器は、それまで奄美・沖縄で全く知られていなかった土器だといいます。それは5世紀ごろの土器だということになり、「スセン當式土器」と名付けられました。出土したものは欠片ばかりでどんな形の土器かはっきりしませんでした。また、発見された当初は、他の島々から発掘された事例がなく、その形がはっきりしなかったといいます。ようやく沖縄で完形に近いものが発掘されたという報道がありましたが、発見より30年後、たくさんのスセン當式土器が地元から発掘されました。和泊町西原の西原海岸遺跡です。当遺跡は平成21年に発掘され、縄文時代後期から弥生時代初めごろにかけての石器や土器や貝殻などが大量に出土しています。この遺跡の報告書が発行され、出土品が一般公開される日が楽しみです。幻のスセン當式土器の完形が展示されるかもしれません。

(文責:えらぶ郷土研究会先田光演)

豪族伝説が残るタシキ又の石 由来を伝える案内板
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