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沖永良部島物語集 

えらぶの西郷さん

№5 えらぶの西郷さん Ⅴ-①

 日本の歴史上の人物で、一番人気は西郷隆盛だといわれていて、伝記や読み本も一番多く出版されているといいます。それだけ、日本人にとっては魅惑的な人物なのです。
 この偉大な西郷隆盛を、沖永良部島では「えらぶの西郷さん」と愛称して、親しみと尊敬の念を込めて語り継いできました。なぜこの島と西郷さんが結びつくのでしょうか。

 西郷さんは、50年の生涯でいろいろと改名しています。
  西郷吉之助・西郷小吉・西郷善兵衛・止水(号)・西郷三助・菊池源吾・大島三右衛門・大島吉之助・屈虫(号)・南洲(号)・西郷吉之助武雄・西郷隆盛・武邨吉(号)・平隆盛・西郷隆永。       (参考文献:山田尚二編「詳説西郷隆盛」年譜。以下同じ)

 沖永良部島と関係の深い名前は、大島吉之助・屈虫・南洲の三つです。
上記の改名を見ると、「西郷」という姓が使えなかった時期があります。「菊池源吾」から「大島吉之助」までの期間で、30~36歳の7年間です(号を除く)。
 この間の動きを年表でまとめてみました。

1828年(文政10) 鹿児島城下の下加治屋町に生まれる。
1854年(安政元) 26歳、藩主島津斉彬に見いだされ、江戸詰めとなり活躍する。 
1858年(安政5) 30歳、藩主斉彬の急死により、僧月照を伴って鹿児島に帰る。
月照と共に鹿児島湾に入水。西郷は蘇生し大島へ潜居する。
1859年(安政6) 31歳、菊池源吾と改名して、奄美大島での生活が始まる。
11月、愛加那(本名とま、23歳)を娶る。
1861年(文久元) 33歳、1月に長男菊次郎が誕生。長女菊子は1862年8月誕生。
1862年(文久2) 34歳、召喚状が届き、帰藩する。この頃大島三右衛門と改名。
国父久光と会い、上京が時期尚早であることなど進言する。
6月、久光の意に逆らい徳之島に流罪となる。大島吉之助と改名。
閏8月、沖永良部島に遠島となり、「囲い牢」で過ごす。
1864年(文久4) 36歳、許されて帰藩。早速上京し、活躍が始まる。西郷吉之助に戻る。
   

(文責:えらぶ郷土研究会先田光演)

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 奄美航空ツーリスト沖永良部営業所 (0997‐93‐1700 (知名町知名658‐3)
 山田海陸航空シーワールドトラベル (0997‐92‐1100 (和泊町和泊576‐3) 

     

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