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沖永良部島物語集 

えらぶの西郷さん

№12 えらぶの西郷さん Ⅴ-②

 約150年前の文久2(1862)年閏8月15日、目ん玉の大きな巨漢が、小さな帆船で沖永良部島に送られてきました。この男は、初め鹿児島から徳之島に「島流し」されていましたが、さらに遠くへ流せという命令で、沖永良部島に移送されてきました。西郷隆盛の「島流し」です。

沖永良部に流された西郷隆盛は改名していて、大島吉之助といいました。しかし、現在、島では明治維新の元勲西郷隆盛に親しみを込めて、「島の西郷さん」と呼んでいます。

 7月、西郷さんは徳之島に遠島になりました。今の天城町(あまぎちょう)岡前(おかぜん)に家を借りて島の生活を始めたばかりです。また、付近の子供たちには学問を教え始めました。

 2ヶ月が経ちました。西郷さんは大島で過ごした3年間に妻を迎え、子供が生まれていました。そして、8月、徳之島に島妻愛加那(あいかな)が菊次郎と生まれたばかりの菊子を伴ってやってきました。きっと、西郷さんは徳之島で親子水入らずの生活を楽しもうと決心していたものと考えられます。束の間の喜びでした。

 西郷さんは生まれたばかりの菊子を抱きかかえ、愛らしい姿に見入っていました。愛加那と菊次郎は頼もしい父親の傍で微笑んでいました。

 「頼もう!頼もう!」

 声を聞きつけた西郷さんは、菊子を愛加那に手渡すと、縁側に下りて行きました。そこには島に派遣されている代官所役人中原万兵衛が片膝をついて、恭しく畏まっていました。

 「西郷様、殿からの命令書です。沖永良部島への遠島命令書です。」と、奉書を手渡しました。後を追っかけるようにして、藩主島津忠義の父久光(ひさみつ)の命令書が届いていたのです。

 「おい、者ども、吉之助を徳之島に流したそうじゃな。それではだめだ。もっと遠くへ流せ。沖永良部島へ流すのじゃ。」国(こく)父(ふ)と言われ藩の実権を握っていた久光の怒りでした。

    沖永良部島へ 遠島        御小姓與(おこしょうぐみ) 大島吉之助

  右の者は吟味(ぎんみ)(罪状を調べて糺す)の訳があって、徳之島へ遣わしておいたが、なおまた聞し召されの趣(おもむき)があり(久光様がお聞きになり)、右の通り、遠島に処する。

  (沖永良部島に)着船の上は、囲いに入れるよう仰せ付け、昼夜空けざるよう二人の番人を付けて監視せよ。[原文を口語訳にして要約した]

(文責:えらぶ郷土研究会先田光演)

徳之島から流された時の命令書  徳之島の上陸記念碑
徳之島から流された時の命令書
(原文書は黎明館所蔵) 
徳之島の上陸記念碑 
(徳之島町天城のワンヤ港)

 沖永良部島の観光業者
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 奄美航空ツーリスト沖永良部営業所 (0997‐93‐1700 (知名町知名658‐3)
 山田海陸航空シーワールドトラベル (0997‐92‐1100 (和泊町和泊576‐3) 

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